1.「白隠禅師坐禅和賛」~ はくいん ぜんじ ざぜん わさん ~
江戸時代の臨済僧・白隠慧鶴禅師が作られた和文のお経。
中心に説かれているのは、坐禅に代表される「禅定」と呼ばれる実践行。
「禅定」とは、無神経・無感覚にならず、外界の刺激をうけながら、精神を統一し、雑念を抑え、静かに思慮すること。
「衆生本来仏なり 水と氷の如くにて」
「水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし」
私たちは本来仏なのである それは水と氷の関係のようなもので
水がないと氷ができないように 私たち以外に仏はありえないのである。
私たちは、皆生まれながらに、仏さまと同じ心を持ち合わせています。
それはあたかも、「水」と「氷」の関係のようです。
氷は、水が固まってできたものであり、もとは同一のものです。
一般に「悟り」と呼ばれ、何か超人的な能力と思われがちな心も、また、凡人と思っている私たちの心も、本当は同一の「仏心」なのです。
その「仏心」は、遠く離れた天国にあるわけではなく、水と氷のように、私たち自身の肉体とその心を離れて存在するものではありません。
私たちの日常は、誘惑・苦難・不安にあふれています。これらは、正しい判断を狂わす原因になります。これらに打ち克つためには、全ては心のあり方が大切です。
心が落ち着いていてこそ、「正しい判断」や「正しい行い」ができるのであり、「何事にも徹する」ことができるのです。
「坐禅和讃」は、そのためのヒントを提示してくれています。
私も「凡人ではない」ということを考えながら、「坐禅和賛」の理解を深めたいと思っています。
2010年4月3日 小河