青木洋のヨットと坐禅

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白隠禅師坐禅和賛H. 22. 09. 04 宮本 實

白隠禅師坐禅和賛

辱なくも此の法を 一たび耳にふるる時
讃歎随喜する人は 福を得る事限りなし
況や自ら回向して 直に自性を証ずれば
自性即ち無性にて 既に戯論を離れたり

回向 : 自分の修めた善行や功徳をすべての人々のために振り向けること
自性 : そのものが本来備えている真の性質、本性
無性 : 無自性の略、空、実体のないこと

有難い事に、この法(おしえ)を 一度でも耳にする時
深く信じ讃え喜ぶ人は 必ず幸福を手に入れるでしょう
ましてや自ら修行し省みて 自分の心の正体を知るなら
それは無自性・空なので もう、既に無意味な論理を離れている

白隠禅師「坐禅和讃」を読む 8/21 担当花本

一座の功をなす人も   

積みし無量の罪ほろぶ    

悪趣何処にありぬべき

浄土即ち遠からず

一座・・・一人座る(座禅)事。    

功・・・・修行の効果。念仏の功。

も・・・・もまた。

無量・・・数的、量的、空間的に無限。仏    

罪・・・・悪。苦。宗教的に非難される行為。善男善女から非難される行為

ほろぶ・・絶えてなくなる 

悪趣・・・悪い所。悪行の結果として受ける生存の状態。迷いの世界。

  苦しみの生存。

浄土・・・煩悩の穢れを離れた清らかな世界。仏のおられる世界。極楽。仏 

               (・・・仏教語大辞典    古・・・古語辞典)

一人静かに座禅を組み、その修行の効果があらわれた人もまた、

今まで重ねてきた数多くの悪い行為や、(人生の)苦労が消え果ててしまう。

悪行や心の迷い、苦労などはどこにもないはずである。

言いかえれば仏のおられる清らかな世界は(自分自身の)すぐそばにある。

                              (花本 訳)

ひととき、心をおちつけて静かに座った人は

悩みごとなど実はなかったんだ、と気付くのです。

悪い出来事など一体どこにあるというのでしょう。

極楽は今ここにあるのです。

                 (臨済宗妙心寺派 松尾山 聖福寺 HPより)

 

4.白隠禅師「坐禅和讃」を読む 7/10 担当松田

夫れ摩訶衍禅定は                   大乗の禅は

称嘆するに余りあり                       いくら称嘆してもしきれないほどだ。

布施や持戒諸波羅蜜            他人への施しや自分自身への戒め

念仏懺悔修行等                         念仏や懺悔、他力の信心、自力の修行等

其の品多き諸善行             数々の善行があるが

皆この中に帰するなり           それらは皆「禅定」の中に包括される。

<用語解説>

摩訶衍       大乗(Mahā〈偉大な〉yāna〈乗り物〉)という語は、『般若経』で初めて見られ、摩訶衍(まかえん)と音写された。大きい乗り物→大きい教え。

禅定  心を統一して瞑想し、真理を観察すること。またそれによって心身ともに動揺することがなくなった、安定した状態を指す。坐禅。

大乗仏教 伝統的に、ユーラシア大陸の中央部から東部にかけて信仰されてきた仏教の分派のひとつ。自身の成仏を求めるにあたって、まず苦の中にある全ての生き物たち(一切衆生)を救いたいという心、つまり大乗の観点で限定された菩提心菩提(悟り)を強く求める心のこと)を起こすことを条件とし、この「利他行(自分の解脱よりも他者の救済を優先すること)」の精神を大乗仏教と部派仏教とを区別する指標としている。  

持戒  戒を守ること。仏教において守らなければならない道徳規範や規則を守ること。

諸波羅蜜 諸々の波羅蜜。 彼岸(覚り)に到る行と解するのが通例である。玄奘以降の新訳では波羅蜜多(はらみた)は、仏教における菩薩仏教において成仏を求める(如来に成ろうとする)修行者)の基本的な実践徳目である。六波羅蜜(ろくはらみつ)とは、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧のこと。「六度(ろくど)」とも呼ばれる。菩薩は、この六つの波羅蜜行の徳を蓄積して、遠い未来の生において一切智の正等覚者として無師独悟するといわれている。

※臨済宗 大光山 宝徳寺、ウィキペディア 参照

私の見解(松田)