横山晃の「海で生き残る条件」を読む1
故横山晃は、440種類以上のヨットを設計した技術者だ。世界で最も多数のヨットを、世に送り出した一人であろう。古くからヨットをしている人は、Y15やシーホースといったディンギー・クラスの名称を憶えているかもしれない。どちらも1000隻以上が普及した、ポピュラーな小型ヨットだ。Yは設計者横山の頭文字である。また大洋横断や世界一周をした、日本人の冒険セーラーが使用したヨットも、横山の設計艇が数多い。
横山の設計活動は、70年に及ぶ。1940年に東京で開催される予定だった、第12回夏季オリンピックに始まるようだ。設計家としての横山はしかし、当時すでに一流のヨット乗りであった。それは1949年、設計者自身による、シーホース・ディンギーで横浜から大島を経由して式根島までの、単独クルージングを敢行したことでも明らかだろう。シーホースは、風だけで走るセーリング・ディンギーだ。嵐が迫る中での20時間に及ぶ長時間セーリングには、最高度の帆走技術が必要となる。
「海で生き残る条件」、それはヨット乗りとして横山が残した宝物だ。長年ヨットに乗っているから、セーリング技術が向上するのではない。長時間、単独で、軽油やガソリンに頼らずに練習するからこそ、技術は向上する。テルテイルやウィンデックスは不要となる。500時間を越えた頃、あなたは実感するに違いない。