航海者から見たアジア内海の舟と航海術
1-2 アジア大陸に沿った帯状のアジア内海
前回に示した大陸側から見た地図を眺めると、アジア大陸に沿った、帯状の海域が存在することに気がつく。大陸側の北方はロシア沿海地方から始まり、南方はミャンマー(ビルマ)まで至る間の海域である。海側には日本列島弧、台湾、フィリピン、ブルネイ、インドネシアの島々が横たわる。大陸側と島々とにはさまれた間の帯状海域は、広いところで東西幅が約490マイル(海里)、南北の全長は図の赤色矢印で、4800マイルに渡る。太平洋を横断するのと代わらない長大な帯状海域が、アジア内海として横たわる。
このアジア内海を地中海と対比してみよう。地中海の東西長さは約2100マイル、南北幅は約480マイルだ。アジア内海の大きさは右図の赤線で表わした地中海に比べ、約2.5倍となる。
地中海は先史時代から、すでに舟による交易が行われてきたことは、よく知られている。木材、鉱物、農水産物、それらに加えて、フェニキア人の貝紫なども高価な交易品であった。陸路が整備されていない当時では、海路の運搬時間は、陸路に較べ遙かに早く、安全であったに違いない。さらに船は馬に較べ、3倍から100倍の積載能力がある。そして地中海が小舟の航海に適した海域であることは、すでに考古学が明らかにしている。
しかし地中海と同様にアジア内海が、小舟にとって航海に適した海域であり、舟による交易がその沿岸国の歴史と文化にに大きく影響を与えてきたことは、まだ十分に明らかにはされていない。むしろ日本は稲作が始まった古代から、農耕社会、農業国であったという考えが根強い。しかし実はアジア内海は舟を操る航海者、海民が交易に活躍した舞台であり、その影響が日本の歴史と文化に大きな影響を与えてきたことを、先哲の研究を土台にして明らかにしていきたいと考える。