白隠禅師の坐禅和賛
坐禅和賛は坐禅に際して、今でもよく唱えられている。日本製のお経(テキスト)の一つと言えばよいだろう。文章は日本語なので、漢文とは違って意味はよくわかる。
坐禅和賛を今年のテーマに選んだのは、二つの目的がある。
一つはもちろん、作者である白隠の生き方を、少しは知りたいからだ。
白隠は坐禅和賛をはじめ仮名法語など、膨大な著作を残している。著作だけではない、絵画、墨跡も実に多い。500年不出の宗教家と言われる白隠、いったいどんな人物なのか興味深い。
白隠学という研究分野もあるのは、その魅力が325年後の今も、いかに尽きないかを物語る。
二つは坐禅和賛を、自分のものとしたいからだ。
漢文のお経(テキスト)を読んでも、意味がわからない。翻訳されたときには社会状況や翻訳者の意図が、テキストに混在することもあるだろう。
しかし坐禅和賛は漢文テキストを和訳したのではない。白隠自身の言葉である。従ってそこには、白隠が到達した思想が込められているのに違いない。それを知ろうとすることは、自分自身と向き合うことでもある。市民のグループがそんな企てを行えるのは、とても楽しいことである。
テキストとしては、柳田聖山著の「禅と日本文化」講談社学術文庫をお薦めする。