4月11日の月例坐禅会

今月は4名の参加者だ。冷たい夜で体は冷えたが、坐禅にはちょうど良い。終わって書院へ移ると、部屋はすでに石油ストーブで温めてあった。本当にありがたい。ほっとすると同時に冷えた手足に血が通いだすのを感じる。暖かいお茶を3杯もお代わりする。
人が亡くなった時に近親者だけで葬儀を済ますのか、それとも多くの人に知らせるべきか。多くの人が病院で亡くなり、その後の死の儀式を葬儀屋が仕切る現代に、慈眼院の南寿明和尚様は問題意識を持っておられるようだ。
自分の場合はどうか。まだ答えはないが骨壺はすでに用意している。
「青木君、坐禅は死ぬ稽古だよ」小堀南嶺和尚の言葉が脳裏に蘇る。

 

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