きょうの月例坐禅会

慈眼院の隣にある日根神社は、桜が満開だ。しかし風はまだ冷たい。きょうは初めての方が2名参加された。合計4名だ。

坐禅が終わった後は、書院で温かいお茶を頂く。茶飲み談義は、堅苦しくないので面白い。なぜ坐禅を始めたのかを話し合う。坐禅はする必要はないし、むしろしないに越したことはない。病気にかからなければ、薬は必要ないのと同じだ。かって柳田聖山先生が言っておられたが、今は自分でも同感する。すると何年も続ける自分は、相当な重症と言えるのか。

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