早逝した愛しき者たちを偲んで

2012/02/12 崎山正美

先日、友人が弱冠62歳で旅立ってしまった。難しい病気を患っていたが、一縷の望みは、本人はもとより周りの人達にもあった。それだけに、死去の第一報は大きな衝撃であった。

お通夜の後、大阪から駆けつけてきた友人と語らった。偶然にも、彼と私はこの年の初めにほぼ共通の体験をしていた。お互いに知らないうちに大事な人を失っていたのである。私の場合は亡くなったことも、病に伏していた事も知らないままにである。なんと享年52歳の若さであった。私自身はそのことで呵責の念にさいなまれている。

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」とは、高校の古典の授業で習った平家物語の冒頭の一節である。生を謳歌する若者たちがこの意味を理解するのは難しい。私のような50代以上の者は長い時間生きてきて無常という感覚は身についてきたものの、それでも愛する者や自分が人生を閉じるということは、信じたくも、理解もしたくないというのが本音である。
ところで、「諸行無常の響き」は仏教の教えから来たもので次の詩に原点があるようだ。

諸行無常
是生滅法
生滅滅己
寂滅為楽

寂滅とは、悟りを開き、あの世に逝く事を言うらしいが、私達は容易に悟れない。しかし、寂滅とは何かを理解するにふさわしい映画を今年の始めにBSで見た。
前にも書いたように映画「生きる」は、短い人生のまさに終りの場面で公務員としての使命を果たし自らが建設に当った公園のブランコに腰掛けたまま逝った男の物語であった。
その男が歌っていたのが「命短し恋せよ乙女・・・」で始まるゴンドラの歌であった。
ガンを患っている事を宣告された彼は、妻と息子と暮らしていた幸福の日々を回想する。妻とは早くに死別し、息子が成人してからは、彼は孤独であり、生きがいのない毎日であった。その彼が自分の人生の終りが近いことを悟って一念発起したのが住民のための公園づくりであった。彼の最後はまさに寂滅といえるものであったと思うのである。

1990年に「髪結いの亭主」というフランス映画が上映された。監督はこの作品で一世を風靡したルコントである。
粗筋は身寄りのない女性が理髪店に住み込みで勤め、その後この店のお客に一目ぼれされ結婚し、幸せな毎日を過ごすのだが、かつて世話になった雇い主を老人ホームに見舞いに行った雷雨の夜家を飛び出し激流に身を投げてしまう。
身寄りのない彼女だからこそ今の幸せがいつか消えてしまう不安がつきまとい、また年齢を重ねることが不幸に見える周りの現実に耐えられなかったのかもしれない。
この映画の結末を私はなかなか理解できなかったが、最近、彼女が無常に耐えられなかったのではないかと理解するようになってきた。悟りとは無常の世に向き合い、人らしく精一杯生きる事かもしれない。

それでは、人らしくとは何か、それも難しいのだが、易しく言えば最後に「ありがとう」と言う言葉を発することができるかどうかであろうか。大阪から駆けつけた友人は、ダライ・ラマから直接、「悟るという事は、人に優しくすることです。しかし、身近な人に優しくすることはなかなか難しいものです」という教えを聞いたという。

やがて、3月。今年も退職者を送り出す季節が近くなってきた。そこには私も含まれる。定年という言葉はどこか寂しい。そしてやがて高齢者と呼ばれるのかと思うとより複雑な気持ちになる。
私は、今度定年される職員より2年も前に還暦を迎えた。還暦になって思ったことは、「何故60歳なのだ!」、「何時の間に?」、「信じられない!」の繰り返しであった。

私たちの還暦祝いを兼ねた同期会には、恩師も招かれた。そこで、一人の恩師の挨拶に元気をもらった。「君たちは、60歳になったからといって年寄りになったと嘆いてはいけない!生涯現役の気概をもて。私だって日々体を鍛えながら充実した毎日を過ごしている」と激励してくれた。確かに先生は、魅力的であった。

さて、充実した日々とは何であろうか。人それぞれに異なるではあろうが、寂滅は一つのキーワードであるように思う。ある診療所に伊江島で「土の宿」を営む木村浩子さんが筆をとったと思われる聖書の一節が額に飾られている。
わが土に還る日のために 植えおかん 青くやさしき翳を持つ木々を
宗教は違えども、私たちの行いや人生は、土に還る日のための準備というのが共通の教えのようだ。
早逝した愛しき者たちを偲んで 合掌

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